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Disney+で配信された全9話のMCUドラマです。 1話あたり約30分。 ブルース・バナーの従妹である弁護士ジェニファー・ウォルターズが、事故をきっかけにシー・ハルクになります。
『ワンダヴィジョン』から始まったMCUドラマの多くは、他作品との関わりが薄い独立した作品でした。 本作は逆です。 MCUに存在するのかさえ怪しかったキャラクターまで出てくる、ファンには嬉しいサプライズの連続でした。
それでも、賛否は大きく割れました。 ここから先は結末まで触れながら、なぜ割れたのかを書いていきます。
評価が割れた理由を、順番に分けて考える
本作について検索すると「つまらない」「ポリコレ」「ひどい」といった言葉が並びます。 ただ、これらは全部まとめて語られていることが多い。 そこを分けたいと思います。
結論から書くと、私が不満を持ったのは構造の話です。 法廷ドラマとして中身が薄いこと。 ヒーローと法廷という2つのジャンルを両立できていないこと。 ジェニファー自身の話の決着が雑なこと。 この3つです。
これらはどれも、脚本と構成と時間配分の問題です。 以下、ひとつずつ見ていきます。
法廷ドラマとして成立していたか
第1話でジェニファーは、これは法廷ドラマだと言います。 途中まではそう思って観ていましたが、最後まで通すとそうは言えませんでした。
法廷ドラマには、少なくとも3つの段階が要ると思っています。
ひとつめが「発生」。 そのエピソードの中心になる事件です。 本作ならシー・ハルクの商標登録の件や、スーツの不具合で製造元を訴える件がこれにあたります。 本来の法廷ドラマでは、ここがエピソードの大半を占めます。
ふたつめが「計画」。 発生した訴訟をどう解決するかを組み立てる段階です。 過去の判例から糸口を見つけたり、相手を調べて戦略を練ったりする。
みっつめが「実行」。 練った計画をもとに実際に裁判をする段階です。 ここから計画をやり直すこともあります。
本作では、この3つが明確に描かれることがありませんでした。 法廷で弁論らしきものはしていますが、おまけ程度です。 そして何より、計画が練られる場面がほとんど出てきません。
その影響が出たのが、カエルスーツのエピソードです。 原告が指定と違う燃料を使っていたという事実に、裁判の最中に気づく。 相手の弁護士が人間探知機だからという事情はあるにせよ、裁判前に確認しておけば防げたミスです。 それが勝敗の決め手になるのは、さすがに雑でした。
MCUという舞台には、超能力を持った人が増えています。 実際の法知識だけでは解決できない事件も当然あるでしょう。 それでも土台になるのは、積み上げられてきた法律と判例のはずです。 そこを力技で解決していたのは残念でした。 魔術をめぐるドニー・ブレイズの裁判など、脅迫とも取れるやり方で片づけています。
欲を言えば、他のMCU作品と絡めた裁判が観たかった。 スターク・インダストリーズの過去の判例を持ち出すような裁判です。
ヒーローと別ジャンルの共存という難題
ここからが、この作品に限らない話です。
テーマとジャンルは別のものだと思っています。 テーマは家族や存在意義や復讐といったもので、それ自体は目に見えません。 物語やキャラクターを通して感じ取るものです。 一方ジャンルは作品そのものを包むもので、ファンタジー、サスペンス、リーガルドラマのように、その作品を一言で説明できる土台になります。
ジャンルには組み合わせやすいものと、そうでないものがあります。 アクションとサスペンス、SFとホラーは前者です。 ホラーとミュージカル、ファンタジーとギャングは後者でしょう。
そしてヒーローというジャンルは、扱いが難しい部類だと思います。 ヒーローものはすでにアクションやファンタジーを内側に含んでいて、それらをヒーローという存在を成立させるために使います。 だからヒーローは飛び、高速で動き、時には手から爪を出す。 丁寧な作品はその理由まで説明して、世界観を作り込んでいきます。
そのうえで、ヒーロージャンルには手放しにくいものがひとつあります。 戦いです。 ヒーロー作品の多くは最終的に戦うことになる。 これを避けて通るには、相当な勇気と物語の強さが要ります。
近年のMCUドラマは、ヒーローと別のジャンルを同時に扱おうとしています。 本作ならヒーローと法廷です。 それがうまくいかず、どちらか一方に偏ってしまう。 偏ったところで急に戦い始めたり、急に裁判めいたことを始めたりする。 これが、作品の軸が定まっていないように見える原因だと思います。
1話約30分で全9話という尺では、両立は難しかったのではないでしょうか。 1話50分あれば可能だったかもしれませんが、そのぶん制作の負担は増えます。 本作でも取り上げられていたVFXの現場の問題もあります。
ジェニファーの話が中途半端に終わっている
あらすじをごく簡単にまとめると、こうなります。 1人の女性弁護士が、ひょんなことから緑のモンスターになる。 そのせいで不幸が続くが、最終的に自分の進むべき道を見つける。
私の不満は、このジェニファーとシー・ハルクの問題が本当には解決していないことです。 正確には、物語の上では解決したことになっています。 ただ、その過程が雑でした。
他のキャラクターがジェニファーに助言を与え、ジェニファーもそれに従って進むように見えます。 最終的にはその助言が反映されたようにも見える。 しかし、後述する特殊なラストと配分の悪い構成のせいで、彼女の心情が中途半端なまま置かれてしまいました。
ポリコレが原因で作品はつまらなくなるのか
ここが本題です。 本作の否定的な意見の多くは、この一語にまとめられています。
先に立場を書きます。 私は、多くの場合ポリコレが原因で駄作が生まれるとは思っていません。
この世界には多くの駄作があります。 その題材には、男性や女性やLGBTQの人が困難を乗り越えるというものが数多くあります。 そしてそのいくつかは、構成や脚本の問題で駄作と言われます。
ところが同じ駄作でも、女性や人種といった要素が入ると、つまらない原因はそこにあると言われはじめます。 それは違うと思います。
作品がつまらないのは、構成や脚本や設定がうまくいっていないからです。 物語のテンポ、時間配分、話の整合性。 そういうものです。
たとえば人気作の続編に同性愛や人種の問題が組み込まれていて、それが駄作だったとします。 理由はおそらく、それらを扱う時間が必要以上に長かったとか、目立たせるために話に無理が出たとか、そういうところにあります。 つまり構成の問題であって、題材そのものの問題ではありません。
もちろん、特定の描写に嫌悪感を持つ人がいるのは事実です。 そういう人が「不必要な同性愛描写があって嫌だった」と言うのは当然のことです。 ただ、それは個人の好き嫌いであって、作品の評価とは別のものだと思います。
そして「不必要な同性愛描写」と呼ばれるものは、言い換えれば同性愛である必要がないものです。 しかしそれは同時に、異性愛である必要もない。 つまりどちらでもよいものです。
2021年公開の『エターナルズ』もポリコレ作品として批判されました。 ファストスというキャラクターのキスシーンについて「不要な同性のキスシーン」という声が出ています。 しかしあの場面が描いているのは家族です。 この記事は『エターナルズ』のものではないので深くは掘り下げませんが、あの家族の描写は異性愛者に置き換えてもそのまま成立するくらい自然でした。
自分の話をします。 私は集合体恐怖症なので、目玉だらけのモンスターが出てきたら目を背けるかもしれません。 でも「目玉だらけのモンスターが出てきたからこの作品は駄作だ」とは言えません。 「私は集合体恐怖症なので目を背けました」とは言うでしょう。 それは好き嫌いの話であって、作品を否定する根拠にはならない。
本作についても同じです。 この作品に不満があるのは、法廷ドラマとして中身が薄く、ヒーローとの両立ができておらず、ジェニファーの話が中途半端に終わっているからです。 順番が逆になってはいけないと思っています。
最終話の第4の壁をどう受け取るか
本作でいちばん衝撃的だったのが第9話です。
シー・ハルクは第4の壁を破れるキャラクターです。 第4の壁とは、作品と観客のあいだにある壁のこと。 これがあるから作品は観客に気づかず、干渉もしません。 それを越えてこちら側に触れてくるのが、第4の壁を破るということです。 同じことができるキャラクターではデッドプールが有名です。
最終話は、その特性を最大限に使いました。
授賞式でプライベートを流出させられたジェニファーは、怒ってエミル・ブロンスキーに会いに行きます。 ところがそこが、事件の首謀者であるハルク・キングの集会会場でした。 シー・ハルクになれない状態で乗り込んでしまった彼女の前に、アボミネーションになったエミル、突然現れるハルクとタイタニア、そしてジェニファーの血を自分に打ってハルクになったトッドが集結します。
この光景に嫌気がさしたジェニファーは、Disney+の画面から「アッセンブル」へ移動し、制作陣に直接文句を言いに行きます。 待っていたのはケヴィン・ファイギではなく、知識拡張型映像相互接続体(K.E.V.I.N)というAIでした。
自分の作品を出て、自分を作っている会社に乗り込む。 これは楽しめました。 これまでのMCUからは考えられない掟破りです。
そもそも制作側がこの展開をやりたかったからこそ、直前の場面があそこまで無茶なのだと思います。 ハルクが許したはずのアボミネーションと戦い始め、第1話と同じようにタイタニアが乱入し、ハルクになれるのはDNAが特殊だからと分析されていたはずなのに完璧な血清ができてしまう。 めちゃくちゃな状況を作れたのは、それを壊す前提だったからでしょう。
批判が出ることも織り込み済みだったはずです。 だからこそジェニファーに制作陣へ文句を言わせて、観客の側に立たせた。 つまりあの無茶な場面は説明する必要がなく、迷走した制作陣が作ったものとして扱われ、シー・ハルクが修正するきっかけになっています。
デッドプールと何が違うのか
同じ第4の壁を破るキャラクターでも、デッドプールはここまで批判されていません。 理由のひとつは、物語そのものを直接書き換えていないことだと思います。
デッドプールはカメラを意識し、観客に語りかけ、メタな発言をします。 しかし物語の展開自体には手を出しません。 『デッドプール2』でもヴァネッサを救うのに脚本家を脅すのではなく、ケーブルのタイムマシンを使いました。 この絶妙な線を守っているのが大きい。
『グリーン・ランタン』の脚本を読んだり、『ウルヴァリン: X-MEN ZERO』の出来事を無かったことにしようとしたりはします。 ただ、それはあくまで過去の別作品です。 既に存在している作品自体が変わるわけではありません。
一方シー・ハルクは、文字どおり展開を書き換えました。 ここが分かれ目です。
そのうえで、本作のやり方には否定的です。 作品単体で見たときに、どうしても都合がよくなってしまうからです。
ひとつは変更の幅。 トッドが血清を打たないようにするとか、エミルの登場を止めるとか、要素をひとつ変えるだけでよかったと思います。 集会の場面が丸ごと消えてしまうと、あれは何だったのかという疑問だけが残ります。
もうひとつは、結果を見せなかったこと。 こちらのほうが大きい。 いまの作りでは、変更を加えたあと集会の場面に戻らず、トッドとエミルが逮捕される場面に切り替わります。 変更したあとに集会へ戻り、そこでジェニファーが弁護士とヒーローの両方を使って解決していれば、彼女の悩みも、本作が提示していた男尊女卑への意見も、まとめて決着したはずです。
それでも楽しめた理由
ここまで不満を並べてきましたが、私はこの作品を楽しみました。 理由は他のキャラクターとの絡みです。
ジェニファーの従兄として登場するハルク、フェーズ4の番人ウォン、ブルースが別人だった時期に登場したアボミネーション、そして盲目の弁護士マット・マードック。
特にマット・マードックです。 Netflixで配信されていた頃に観て大ファンになり、制作終了が発表され、契約の都合で2年間は他のマーベル作品に出られないと聞いたときは1週間ほど落ち込みました。 だから本作で本格的に登場したときは声が出ました。
厳密には『スパイダーマン: ノー・ウェイ・ホーム』で既に登場しています。 あの場面も嬉しかったのですが、日本公開が約3週間遅れだったのでネタバレを踏んでしまい、本当の意味で新鮮には楽しめませんでした。 本作では2エピソードとはいえ、法廷に立つ姿もスーツ姿も堪能できたので、そのぶんも取り返せました。
第1話からハルクが出てきたのも驚きでした。 中盤あたりで登場すると思っていたからです。 当初の予定では、シー・ハルクの誕生を描くのは第8話だったようです。 SNSを見ると途中で視聴をやめた人もいたので、誕生を第1話に持ってきたのは観客をつなぎ止めるうえで効いたのかもしれません。
デアデビルはその後どうなったか
本作のデアデビルがNetflix版と同じ人物なのかどうかは、当時まだはっきりしていませんでした。 その後の展開ではっきりします。
『デアデビル:ボーン・アゲイン』のシーズン1は2025年3月4日に始まり、全9話が4月15日まで配信されました。 チャーリー・コックスが続投し、内容もNetflix版の続きとして作られています。 2023年末に制作の方針が見直され、Netflix版の空気に戻して物語も引き継ぐと決まったためです。
つまり、シー・ハルクのデアデビルより暗くなってほしいという当時の願いは、そのとおりになりました。
シーズン2は2026年3月24日から5月5日まで、全8話が配信されています。 シーズン3も2025年9月に決まり、2027年3月の配信予定で撮影が進んでいます。
マットとジェニファーが付き合い始めたことが両方の作品にどう響くのか、という当時の楽しみについても書いておきます。 デアデビルやジェニファーが軽いと言われることがありましたが、Netflix版のデアデビルでもエレクトラと急に始まっていたので、そこはあまり気になりませんでした。
つまらないと言われる理由は、もっと具体的だった
本作を成功と呼ぶのは難しいと思います。 ただその理由は、検索したときに並ぶ言葉よりもずっと具体的です。
法廷ドラマに要る「計画」の段階が抜けていた。 ヒーローと法廷という組み合わせを、1話30分の枠で両立できなかった。 そのしわ寄せでジェニファー自身の話が中途半端になり、最終話は変更の幅が大きすぎて結果も見せずに終わった。
どれも構成と時間配分の話です。 ここを直せば、同じ題材のまま良くなったはずだと思っています。
そして、それでもマット・マードックが法廷に立つ2エピソードには十分な価値がありました。 他作品とのつながりを楽しみに来た人には、いまでも勧められます。